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2008年8月17日 (日)

消失。

フクロウ殺した。

蛾を採りに行った帰りの出来事。
道の脇から低空飛行で滑空したフクロウと鉢合わせ。
ブレーキ踏んだけど、間に合いませんでした。

即死。

ヘッドライトに照らされたフクロウの顔と。
車の鼻先にあたって、はじき跳んだ姿が忘れられません。

「死」を前にして、何の理由もいりません。
ブレーキ間に合わなかったとか、飛び出してきたからとか。
戻らない命を前に無意味です。
ただ、沈黙をそこに落とすだけ。

奪った命を深く深く悼みます。
灯火が消える悲しみを、ずっとずっと積み上げて。
生き物と私の間に「死んでしまった」は決してない。
どんな理由があろうとも、それは全て私が「殺した」もの。

生と死の間で、私はずっと考える。

ちなみに……。
死体は責任持って回収しました。
生きてるものも多いけど、同じくらい私の周りは死体だらけ。
別にかっこよくうんちくたれたりはしないけど。
感じることは何よりも大切なこと。
それを、活かしていくことも。
単純だけど、忘れちゃいけない気持ち。

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コメント

運転をしていると多くの生き物を殺します。
鳥をひき殺すと悩み、悔やみますが、無数の蟲をひき殺してもそこまでの感情は生まれません。
同じ命のはずなのですが。

このことは生き物の死を考える時にいつもひっかかることです。

投稿: てふてふ | 2008年8月18日 (月) 07:59

この前、田舎に帰った時、叔父と新しいダム建設予定地に行きました。

もう、そこの住民は大金をもらって引っ越したあとで、山のふもとはさら地になってて、工事が始まっていました。
むかし、此処には河や林がありました。
此処に住んでいた動植物はもういません。

住まいを奪われた動物たちにもかなり同情します。

DORで死ぬ動物たちもダム建設で移動を余儀なくされた動物たちも全て人間の仕業です。
われわれも生きている。 だが、やるせなく生きているという自覚をいつも絶やさず生きてゆきたいですね・

投稿: ko-kiki | 2008年8月18日 (月) 16:25

★てふてふ

私もてふてふと同じことを考えてた。

運転に限らず、多くの生き物を殺してるよ。
蟲どころか、生き物を殺すことに関して何の感情も抱かない人がこの世の中にはたくさんいるよ。
私たちは生き物好きの中で生きてきたから気付かないけれど、心の底から生き物を嫌悪する人もたくさんいる。
命に優劣をつけること、それってとても悲しいことだよね。

可哀想って思うことを辞めてはいけないし。
殺したっていう自覚も失くしてはいけない。

この感覚は体験でしか得られないもの。
可愛いと可愛くないでしか物事を見られず、自然という大きな命を捉えられなくなった人たちに悲しさを覚えるよ。

……と、いつかてふてふと語りたいねぇ!

投稿: ちあき | 2008年8月18日 (月) 20:49

★コーキキ様

可哀想という感情を忘れてしまうことは恐ろしいですね。
可哀想、とは時にとても悪い言葉のように扱われますが、私は人としてとても大切な言葉のように思います。

感じて、考えて、決める。

この過程をいつから人は忘れてしまったのでしょうね。

我々も生きている。
同時にそこに横たわる死に向き合う心が大切です。
仕方がないで片付けるのではなく、仕方がないの中身をしっかりと考えられる人間になりたいものですね。

投稿: ちあき | 2008年8月18日 (月) 20:55

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